| ドミニク・チェン(以下、ドミニク): 今回commonsphereの特集の第一弾として、マンガ家・イラストレーターの西島大介さんにお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。 西島さんは、ご自身の作品のなかでもマンガ・アニメ史から多様な引用とサンプリングを行っている作家として知られていますが…… 西島大介(以下、西島): いきなりダメじゃないですか(笑)。 ドミニク: いえいえ(笑)。まずワイドアングルの質問からお聞きします。西島さんはマンガやイラストを描かれたり、展示活動などをされているわけですが、現行の著作権、とくにデジタル著作権の一連の動向などに対して、どのような印象を持たれていますか。 西島: 最近だと、たとえばCCCD反対運動なんかはポジティブな結果になったと思います。もちろんiPodなどが売れているという背景もあって、けっこう複雑な話だとは思うんですが、ひとことでいえば消費者側が勝ったわけですよね。なるほどこういう道筋もあるんだな、と肯定的に捉えました。なぜかというと、今回の事件を通じて、音楽を創っている人と聴いている人のあいだに、大きな障壁があることが明らかになりましたよね。僕はそれがわかっただけでもかなり有益だったと思う。逆にたとえば、いまCDが売れなくなることでメジャーという構造からはこぼれることを意味するわけですけど、むしろその方がやりやすい人も増えていますよね。 こうした音楽 をめぐる問題が、遅かれ早かれ出版の世界にも起きてくると思う。今後10年間、いまの出版が同じ状態だとはとても思えないんですね。というわけで、多少なりともデジタル著作権の問題は考えておかないとな、と思っていました。 ただ個人的には、CCCDに反対するのに「リスナーに自由を!」と主張する気はないんです。「俺はこれだけファンなんだから、なんとかしてくれ」的なものですね。もちろん、それは心情的にはわかるんだけど、単に消費者の選択としては、買わなければいいだけじゃんという気もしてしまう。僕の場合、CCCDにもならないような特殊音源を買うか、TSUTAYAでCDをレンタルするというように、メジャーとマイナーがどんどん二極化しちゃっているからなんですね。中間層が完全にふるい落とされてしまっているというか。で、自分の場合どうかというと、探さないと買えない、とてもマイナー なところで仕事してるな、と(笑)。 このように、CDが売れなくなって、CCCDが出て、でもiPodが流行って、みたいな音楽業界の状況を出版の世界に置き換えてみることで、僕としてはいいイメージ・トレーニングができたと思いますね。ただ、CCCDの撤退にしても、必ずしもリスナーに自由な音楽を聴いてもらうというだけで決まったものじゃない。だから難しい問題だな、という印象ですが、どう状況が悪くなっても、それでもどこかに抜け穴があるだろうと漠然と思ってますけど。 ドミニク: 聴き手と創り手の間に障壁があって、CCCDによってそれが露呈されてしまったというお話ですね。それでは、出版の世界ではどうでしょうか。たとえば同人誌やコミケのようなモデルが出版の世界にはありますが、こうした構造を足がかりにすることで、音楽業界とは違う戦略が可能だと西島さんはお考えなのでしょうか。 西島: いや、僕自身は同人活動をしていないんです。でも、その理由は同人誌で儲ける術を知らないだけですね。コミケに参加して、自分でマンガを描いて、編集して製本して売るのは面倒くさいというか、そういう手間ひまを割けないんです。とりあえず僕の場合、早川書房や河出書房新社という中堅だけどとても理解ある出版社で本を出すほうが、部数や印税を考えてもいまのところ現実的なんですね。
でも近い将来、僕のような少部数では商売として成立しなくなるときが来るかもしれない。もちろんそのときまでに僕の本が桁を増やして売れていれば話は別ですし、あるいは出版全体が、コミケ化するというか、もっと別の形態へ向かうのかもしれない。それは遠からず考えないといけないし、無視できないです。ただ、いま僕は連載誌を持っていないので、いわば同人的に仕上げたものをメジャー流通で出しているわけで、ちょっと特殊な状態ですね。それを自分で製本してコミケに出店すればインディーズ出版になると思います。東さんの『波状言論』もそういったトライアルのひとつですよね。 たとえばさっきの音楽の話だったら、去年スチャダラパーが出した「The 9thSense」というアルバムは、メジャーレコード会社を離れてインディーで出たんですけど、これすごいいい内容で、商売的にネガティブな状況が、作品的にはポジティブな作用になった。もっと顕著な例はECDとか。既存のシステムからの離脱が、創作意欲に直結してる。出版の場合は音楽みたいにプロダクションとの契約金のようなものはないけれど、出版もこういう問題に直面するときが来るかもしれない。 ただ僕は極端に面倒くさがりなのでやっていないだけ、という感じです。つまり、別に同人誌はプロ意識としてやらないとかそういう話じゃないです。可能性としては、将来十分ありうると思っています。TOP コンテンツのオープンソースの試み ドミニク: 今回、西島さんにはCreative Commons(CC)のライセンスのひとつひとつをキャラクター化していただきました。さらに、そのファイル自体をCCライセンスのもとで公開する試みをしています。しかも、最終的に完成した画像ファイルだけではなくて、作成作業をされたIllustratorのファイルもオープンにされている。いわば、コンテンツ制作における「オープンソース」の試みだと思います。 では、西島さんにとってオープンソース化のモチベーションとはなんでしょうか。いま西島さんが立っているメジャー流通のポジションから見たとき、たとえば創り手と受け手の距離をより縮めていきたいということでしょうか。 西島: いや、そこはけっこう複雑ですね。たとえば一番効果的なのはなにかと考えると、もしディズニーみたいなところがミッキーマウスにCCをつけてオープンソース化したら、それはもう全てが変わるくらいのインパクトがあると思うんですよ。最終兵器みたいな(笑)。たとえば僕が描いた「コモコモ」より、CLAMPが「モコナ」を解放したほうがよっぽど影響力はあるでしょうし、ジャニーズの写真にCCがついて使えるようになるのでもいい。状況を変えるインパクトを与えるという意味では、自分は役不足だと思っていますね。 ドミニク: デジタル著作権の強化に対する状況論や戦略論という視点からのお話ですね。むしろ、西島さんの一作家としてはいかがでしょう。オープンソース化するモチベーションなり、意義なり、面白さはどこにありますか。 西島: 僕は基本的にはなんでもありだと思っているんです。すべてを法で取り締まることはできないだろうし、法律ってそんな確かなものでもないし。たとえば僕の本が古本屋で売られているのを見ても、これはこれで別の世界で流通していることになるので、うれしいんです。これっていまのメジャー流通から見れば危機感をもって見られちゃう問題なんでしょうけれど、一個人としては、Amazonで僕の本が中古で出ているのを見たらうれしい。わ、擦り切れるほど読まれてるって。それ以上の見返りは求めていないんです。単に、あまり儲かっていないからなのかもしれませんが(笑)。 こないだメタリカのドキュメントを観たんですけど、彼らはNapsterと争っていましたよね。メタリカ級になると話は別なのかもしれないけれど(笑)、いまのところ僕は細かいことをいう気はないし、その必要もない。どうぞコピってパクってください、僕でよければ、みたいな(笑)。 まあ、著作権のモラルについては、僕は極めて緩い考えだと思います。いや、正直なところ、自分だってそういうものを完全に犯していないとはいえないですしね。基本的にはクリエイションの世界なんて無法地帯でもいいと思っているくらいで、法律なんてどれだけ厳しくしても、いくらでも抜け道はあるよ、という考えです。認識は甘いのかもしれません。TOP  パクリ論争の不毛さを超えて ドミニク: 今回CCを付与されたことで、西島さんの創ったキャラクターが引用され・サンプリングされ・コピられ・パクられる可能性があるわけです。逆に西島さんご自身の創作活動において、たとえば現在書籍化されている「凹村戦争」「世界の終わりの魔法使い」、そして次に控えている「ディエンビエンフー」などでは、引用を多様に行われていますよね。 西島: してますね。いま仕上げている「ディエンビエンフー」では、岡本太郎の「殺すな」のロゴをサンプリングしているんです。具体的な手順を説明すると、「殺す・な」のサイトに上がっているデータをダウンロードして、プリントアウトして、それをトレース台にのっけて原稿に描き込んでいます。「ディエンビエンフー」はベトナム戦争のお話なんですけど、そもそもマンガのなかに、「殺すな」の「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」が出てくるんですね。言い訳なんですが、「殺すな」のサイトでは反戦活動のパフォーマン スためにこのデータを配布します、といって公開しているわけで、自分がそれをトレースするのはたぶん法的には問題ないはずですよね。だから、あえて使用することに踏み込んでいる。反戦活動の一環なわけだから。あ、でも、「ディエンビエンフー」は全然反戦マンガじゃないんですけどね。 ドミニク: 「殺す・な」の椹木野衣さんも太郎の「殺すな」をサンプリングしたわけだし、小田マサノリは「イルコモンズ」というかたちでも活動されていますし、こういう引用はOKですよね。 西島: 「彼らの文脈を自分は踏まえたうえで使っているのでOK」という話ですよね。でも法律の世界は、こうした「文脈理解」の世界とは別にある。それに、そもそも第三者からは当事者たちが文脈を踏まえているかどうかなんて判断できないと思うんです。 たとえば、「なっち」(安部なつみ)や「オレンジレンジ」のパクリ騒動みたいな話がありましたけど、僕なんかはなっちはパクリじゃないと思うし、むしろ妹の「あっち」(安部麻美)のほうが、なっちのパクリだと思う(笑)。いや、なっちが相田みつをの詩をパクったなんて、むしろ「なっちらしさ」に溢れててとてもイイ語と思うんだけど、それに比べたら、妹の安部麻美がひょいと出てくることのほうが僕的には仁義に反していると思うんですよ(笑)。でも、あさみんは法を犯しているわけじゃないですよね。つまり、心情的にアリという話と、法的にアリという話は分かれてしまう。僕はそれをひっくり返そうとは思わないけれど、不思議なことだと思う。 そこでCreative Commonsなんかがいいなと思うのは、当事者同士が直でつながる仕組みというところですね。第三者がパクリかどうかを判断して、当事者の意向を無視したかたちで問答無用に裁く、というのとは違うシステムである、と。もちろん創り手と受け手の関係をそんなに特権化するつもりはないんですが、法律が裁きを下してしまうその前に、「ちょっと待った!」(笑)と割り込む合意のシステムといえばいいのかな。それとも、法律の前の法律というか……。またなっちの例ですけど(笑)、相田みつをとなっちがCCであらかじめ繋がって了解が取れていれば、外野が「このパクリ野郎」と騒ごうがなっちは休業しなくて済んだわけで、そういうポジティブな方向に持っていけるんだなと思いますね。TOP 理解促進のためのキャラクター化 ドミニク: 今回CCのライセンスのひとつひとつにキャラを付けて頂いたんですが、ライセンス自体についてはどのような印象をもたれましたか。また、なにか要望というか、「こうしたらいいんじゃないか」といった点などがあれば教えてください。 西島: さっき、同人活動は面倒くさいと言ったんですけど、法律もそうですよね。そうした法的な面倒を軽減するのがCreative Commonsであるわけです。でも、やっぱりCreative Commons自体を理解することだって、それすらも面倒くさい(笑)。もちろんCCは限りなく簡単にしてくれているんだけど、Web上にこんなものがあって、どうしたって読み飛ばしてしまう。僕も読み飛ばしてしまう人なので。 あくまで個人的な話になっちゃうんですけど、今回、CCライセンスの条件の自由度に従ってキャラを進化させるという、かなり踏み込んだかたちで関われたおかげで、キャラを創る過程を通じてかなりCCについて理解できました。もしこれが単なるマスコット・キャラクターを描くだけだったら、それで終わってしまった気もするんですが、Creative Commonsの段階に応じて進化する生命体というか生態系を描くという試みが面白かったです。絵に落としこんでいく作業を通じて深く理解できたのはとてもよかった。 僕が理解するだけじゃなくて、今回キャラクター化したのは、ユーザーの敷居を下げる目的からですよね。「内容改変あり・なし」といった選択肢によって、9段階のCCのライセンスが枝分かれして進化していくという方法でキャラクターを描いているので、かなりわかりやすくなったと思う。たとえば政治の本を読むのが嫌だから政治マンガとか、「マンガ聖徳太子」的なものに近いというのかな(笑)。皆さんがぱっと感覚的に理解するための手助けになれば、うれしいですね。むしろ難解になってたら、ごめんなさい。 TOP 2ページ目へ |