コモンスフィアの特集第一弾となる今回は、漫画家/イラストレーターの西島大介さんにお話を聞かせて頂くことになりました。
ご自身の作品でもアニメ/漫画史から多様な引用とサンプリングを駆使している西島さんに、今回はコモンスフィア上で新作のキャラクターをオープンソース化して公開して頂くことになりました。
また、それぞれのキャラクターはクリエイティブ・コモンズの個別のライセンスに対応しているので、利用者はキャラクターによって違った使用法を経験できるようになっています。
漫画を描き、他の作家ともイラストを作り、また展示活動なども行うという立場にいる西島さんにとって、デジタル著作権の状況やその創作活動に対する影響などについて聞きました。
収録日時:2005/06/07 GLOCOM事務所内
インタビュアー:ドミニク・チェン
写真撮影:松谷総一郎
編集:濱野智史
ドミニク・チェン(以下、ドミニク):
今回commonsphereの特集の第一弾として、マンガ家・イラストレーターの西島大介さんにお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。西島さんは、ご自身の作品のなかでもマンガ・アニメ史から多様な引用とサンプリングを行っている作家として知られていますが……
西島大介(以下、西島):
いきなりダメじゃないですか(笑)。
ドミニク:
いえいえ(笑)。まずワイドアングルの質問からお聞きします。西島さんはマンガやイラストを描かれたり、展示活動などをされているわけですが、現行の著作権、とくにデジタル著作権の一連の動向などに対して、どのような印象を持たれていますか。
西島:
最近だと、たとえばCCCD反対運動なんかはポジティブな結果になったと思います。もちろんiPodなどが売れているという背景もあって、けっこう複雑な話だとは思うんですが、ひとことでいえば消費者側が勝ったわけですよね。なるほどこういう道筋もあるんだな、と肯定的に捉えました。
なぜかというと、今回の事件を通じて、音楽を創っている人と聴いている人のあいだに、大きな障壁があることが明らかになりましたよね。僕はそれがわかっただけでもかなり有益だったと思う。逆にたとえば、いまCDが売れなくなることでメジャーという構造からはこぼれることを意味するわけですけど、むしろその方がやりやすい人も増えていますよね。
こうした音楽をめぐる問題が、遅かれ早かれ出版の世界にも起きてくると思う。今後10年間、いまの出版が同じ状態だとはとても思えないんですね。というわけで、多少なりともデジタル著作権の問題は考えておかないとな、と思っていました。
ただ個人的には、CCCDに反対するのに「リスナーに自由を!」と主張する気はないんです。「俺はこれだけファンなんだから、なんとかしてくれ」的なものですね。もちろん、それは心情的にはわかるんだけど、単に消費者の選択としては、買わなければいいだけじゃんという気もしてしまう。僕の場合、CCCDにもならないような特殊音源を買うか、TSUTAYAでCDをレンタルするというように、メジャーとマイナーがどんどん二極化しちゃっているからなんですね。中間層が完全にふるい落とされてしまっているというか。で、自分の場合どうかというと、探さないと買えない、とてもマイナー なところで仕事してるな、と(笑)。
このように、CDが売れなくなって、CCCDが出て、でもiPodが流行って、みたいな音楽業界の状況を出版の世界に置き換えてみることで、僕としてはいいイメージ・トレーニングができたと思いますね。ただ、CCCDの撤退にしても、必ずしもリスナーに自由な音楽を聴いてもらうというだけで決まったものじゃない。だから難しい問題だな、という印象ですが、どう状況が悪くなっても、それでもどこかに抜け穴があるだろうと漠然と思ってますけど。
ドミニク:
聴き手と創り手の間に障壁があって、CCCDによってそれが露呈されてしまったというお話ですね。それでは、出版の世界ではどうでしょうか。たとえば同人誌やコミケのようなモデルが出版の世界にはありますが、こうした構造を足がかりにすることで、音楽業界とは違う戦略が可能だと西島さんはお考えなのでしょうか。
西島:
いや、僕自身は同人活動をしていないんです。でも、その理由は同人誌で儲ける術を知らないだけですね。コミケに参加して、自分でマンガを描いて、編集して製本して売るのは面倒くさいというか、そういう手間ひまを割けないんです。とりあえず僕の場合、早川書房や河出書房新社という中堅だけどとても理解ある出版社で本を出すほうが、部数や印税を考えてもいまのところ現実的なんですね。
でも近い将来、僕のような少部数では商売として成立しなくなるときが来るかもしれない。もちろんそのときまでに僕の本が桁を増やして売れていれば話は別ですし、あるいは出版全体が、コミケ化するというか、もっと別の形態へ向かうのかもしれない。それは遠からず考えないといけないし、無視できないです。ただ、いま僕は連載誌を持っていないので、いわば同人的に仕上げたものをメジャー流通で出しているわけで、ちょっと特殊な状態ですね。それを自分で製本してコミケに出店すればインディーズ出版になると思います。東さんの『波状言論』もそういったトライアルのひとつですよね。
たとえばさっきの音楽の話だったら、去年スチャダラパーが出した「The 9thSense」というアルバムは、メジャーレコード会社を離れてインディーで出たんですけど、これすごいいい内容で、商売的にネガティブな状況が、作品的にはポジティブな作用になった。もっと顕著な例はECDとか。既存のシステムからの離脱が、創作意欲に直結してる。出版の場合は音楽みたいにプロダクションとの契約金のようなものはないけれど、出版もこういう問題に直面するときが来るかもしれない。
ただ僕は極端に面倒くさがりなのでやっていないだけ、という感じです。つまり、別に同人誌はプロ意識としてやらないとかそういう話じゃないです。可能性としては、将来十分ありうると思っています。
コンテンツのオープンソースの試み
ドミニク:
今回、西島さんにはCreative Commons(CC)のライセンスのひとつひとつをキャラクター化していただきました。さらに、そのファイル自体をCCライセンスのもとで公開する試みをしています。しかも、最終的に完成した画像ファイルだけではなくて、作成作業をされたIllustratorのファイルもオープンにされている。いわば、コンテンツ制作における「オープンソース」の試みだと思います。
では、西島さんにとってオープンソース化のモチベーションとはなんでしょうか。いま西島さんが立っているメジャー流通のポジションから見たとき、たとえば創り手と受け手の距離をより縮めていきたいということでしょうか。
西島:
いや、そこはけっこう複雑ですね。たとえば一番効果的なのはなにかと考えると、もしディズニーみたいなところがミッキーマウスにCCをつけてオープンソース化したら、それはもう全てが変わるくらいのインパクトがあると思うんですよ。最終兵器みたいな(笑)。たとえば僕が描いた「コモコモ」より、CLAMPが「モコナ」を解放したほうがよっぽど影響力はあるでしょうし、ジャニーズの写真にCCがついて使えるようになるのでもいい。状況を変えるインパクトを与えるという意味では、自分は役不足だと思っていますね。
ドミニク:
デジタル著作権の強化に対する状況論や戦略論という視点からのお話ですね。むしろ、西島さんの一作家としてはいかがでしょう。オープンソース化するモチベーションなり、意義なり、面白さはどこにありますか。
西島:
僕は基本的にはなんでもありだと思っているんです。すべてを法で取り締まることはできないだろうし、法律ってそんな確かなものでもないし。たとえば僕の本が古本屋で売られているのを見ても、これはこれで別の世界で流通していることになるので、うれしいんです。これっていまのメジャー流通から見れば危機感をもって見られちゃう問題なんでしょうけれど、一個人としては、Amazonで僕の本が中古で出ているのを見たらうれしい。わ、擦り切れるほど読まれてるって。それ以上の見返りは求めていないんです。単に、あまり儲かっていないからなのかもしれませんが(笑)。
こないだメタリカのドキュメントを観たんですけど、彼らはNapsterと争っていましたよね。メタリカ級になると話は別なのかもしれないけれど(笑)、いまのところ僕は細かいことをいう気はないし、その必要もない。どうぞコピってパクってください、僕でよければ、みたいな(笑)。
まあ、著作権のモラルについては、僕は極めて緩い考えだと思います。いや、正直なところ、自分だってそういうものを完全に犯していないとはいえないですしね。基本的にはクリエイションの世界なんて無法地帯でもいいと思っているくらいで、法律なんてどれだけ厳しくしても、いくらでも抜け道はあるよ、という考えです。認識は甘いのかもしれません。
パクリ論争の不毛さを超えて
ドミニク:
今回CCを付与されたことで、西島さんの創ったキャラクターが引用され・サンプリングされ・コピられ・パクられる可能性があるわけです。逆に西島さんご自身の創作活動において、たとえば現在書籍化されている「凹村戦争」「世界の終わりの魔法使い」、そして次に控えている「ディエンビエンフー」などでは、引用を多様に行われていますよね。
西島:
してますね。いま仕上げている「ディエンビエンフー」では、岡本太郎の「殺すな」のロゴをサンプリングしているんです。具体的な手順を説明すると、「殺す・な」のサイトに上がっているデータをダウンロードして、プリントアウトして、それをトレース台にのっけて原稿に描き込んでいます。「ディエンビエンフー」はベトナム戦争のお話なんですけど、そもそもマンガのなかに、「殺すな」の「ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)」が出てくるんですね。言い訳なんですが、「殺すな」のサイトでは反戦活動のパフォーマン スためにこのデータを配布します、といって公開しているわけで、自分がそれをトレースするのはたぶん法的には問題ないはずですよね。だから、あえて使用することに踏み込んでいる。反戦活動の一環なわけだから。あ、でも、「ディエンビエンフー」は全然反戦マンガじゃないんですけどね。
ドミニク:
「殺す・な」の椹木野衣さんも太郎の「殺すな」をサンプリングしたわけだし、小田マサノリは「イルコモンズ」というかたちでも活動されていますし、こういう引用はOKですよね。
西島:
「彼らの文脈を自分は踏まえたうえで使っているのでOK」という話ですよね。でも法律の世界は、こうした「文脈理解」の世界とは別にある。それに、そもそも第三者からは当事者たちが文脈を踏まえているかどうかなんて判断できないと思うんです。
たとえば、「なっち」(安部なつみ)や「オレンジレンジ」のパクリ騒動みたいな話がありましたけど、僕なんかはなっちはパクリじゃないと思うし、むしろ妹の「あっち」(安部麻美)のほうが、なっちのパクリだと思う(笑)。いや、なっちが相田みつをの詩をパクったなんて、むしろ「なっちらしさ」に溢れててとてもイイ語と思うんだけど、それに比べたら、妹の安部麻美がひょいと出てくることのほうが僕的には仁義に反していると思うんですよ(笑)。でも、あさみんは法を犯しているわけじゃないですよね。つまり、心情的にアリという話と、法的にアリという話は分かれてしまう。僕はそれをひっくり返そうとは思わないけれど、不思議なことだと思う。
そこでCreative Commonsなんかがいいなと思うのは、当事者同士が直でつながる仕組みというところですね。第三者がパクリかどうかを判断して、当事者の意向を無視したかたちで問答無用に裁く、というのとは違うシステムである、と。もちろん創り手と受け手の関係をそんなに特権化するつもりはないんですが、法律が裁きを下してしまうその前に、「ちょっと待った!」(笑)と割り込む合意のシステムといえばいいのかな。それとも、法律の前の法律というか……。またなっちの例ですけど(笑)、相田みつをとなっちがCCであらかじめ繋がって了解が取れていれば、外野が「このパクリ野郎」と騒ごうがなっちは休業しなくて済んだわけで、そういうポジティブな方向に持っていけるんだなと思いますね。TOP
理解促進のためのキャラクター化
ドミニク:
今回CCのライセンスのひとつひとつにキャラを付けて頂いたんですが、ライセンス自体についてはどのような印象をもたれましたか。また、なにか要望というか、「こうしたらいいんじゃないか」といった点などがあれば教えてください。
西島:
さっき、同人活動は面倒くさいと言ったんですけど、法律もそうですよね。そうした法的な面倒を軽減するのがCreative Commonsであるわけです。でも、やっぱりCreative Commons自体を理解することだって、それすらも面倒くさい(笑)。もちろんCCは限りなく簡単にしてくれているんだけど、Web上にこんなものがあって、どうしたって読み飛ばしてしまう。僕も読み飛ばしてしまう人なので。
あくまで個人的な話になっちゃうんですけど、今回、CCライセンスの条件の自由度に従ってキャラを進化させるという、かなり踏み込んだかたちで関われたおかげで、キャラを創る過程を通じてかなりCCについて理解できました。もしこれが単なるマスコット・キャラクターを描くだけだったら、それで終わってしまった気もするんですが、Creative Commonsの段階に応じて進化する生命体というか生態系を描くという試みが面白かったです。絵に落としこんでいく作業を通じて深く理解できたのはとてもよかった。
僕が理解するだけじゃなくて、今回キャラクター化したのは、ユーザーの敷居を下げる目的からですよね。「内容改変あり・なし」といった選択肢によって、9段階のCCのライセンスが枝分かれして進化していくという方法でキャラクターを描いているので、かなりわかりやすくなったと思う。たとえば政治の本を読むのが嫌だから政治マンガとか、「マンガ聖徳太子」的なものに近いというのかな(笑)。皆さんがぱっと感覚的に理解するための手助けになれば、うれしいですね。むしろ難解になってたら、ごめんなさい。
キャラの二次利用に期待するもの(1)
ドミニク:
この9体のキャラ自体、それぞれのCCライセンスで公開されているのですが、これらが二次利用されていくイメージやヴィジョン、期待などはありますか。
西島:
今回Creative Commonsライセンスを付けて公開してますけど、その外側の可能性も信じているんですね。法の外側というか、無法地帯もアリだと思っている人間ですから、Creative Commonsの枠を超えた過激な方向でパクってもらってもアリです。
たとえば幸せなものだと、たとえば「アンパンマン」のキャラの顔をした「アンパンマン・パン」みたいな菓子パンってありますよね。これってパン自体に「©やなせたかし」と入りようがなくて面白いと思うので、「コモコモ・パン」が勝手に作られる、とかかな(笑)。まあCreative Commonsって基本的にネットワーク上の法規制に対する対応策だから、ちょっと遠い話かもしれないんですけどね。あとは、ローレンス・レッシグの新著の表紙に使われたり、戦闘機のノーズアートになったり、ポケモンジェットの代わりにコモコモジェットを、とか(笑)。
そもそも、「フリーで使っていいですよ」とあらかじめ設定したほうが使いやすいのか、むしろ設定しないほうが使いやすいのか、まだわからないと思うんです。やってみないとわからないし、もちろん誰も反応してくれない可能性もありますしね。僕自身だったら、どうやって使うかな。
ドミニク:
Creative Commonsでは、「これはコラボレーションのためのライセンス」だと言っています。見知らぬ未来の人とのコラボレーションのチャンスがあるんだ、と。パンの例にしても、パン屋さんとのコラボレーションですよね(笑)。
西島:
いや、Creative Commonsを採用しているパン屋さんって、かっこいいと思いますよ(笑)。なんかよくわかんないですけど。
ドミニク:
もちろんパンの意匠権に絡む話ですから、十分Creative Commonsの範疇でもあると思います。
今回はCreative Commonsを付けられたわけですが、より限定的に聞いてしまうと、そのモチベーションには、より広く自分の作品が目に触れてほしい、といった純粋なアーティストとしての思いもあるのでしょうか。
西島:
ただ、Creative Commonsを介さない前例のほうが、すでにたくさんあるのは事実ですよね。たとえばシティーハンターのアニメのミサイルのシーンで、サブリミナル的にオウム真理教のアニメが挿入されていたという話がありました。僕なんかは、このミサイルにCCライセンスが入ってたら面白いなと思うんだけど(笑)、でも、すでに小麦ちゃんとかにモナーが使われていたりして、CCのような仕組みを介さずに、コラボレーション的なことは起きている。電車男なんかもその例に加えてもいいかもしれない。
もちろんCCの敷居を下げるためにキャラクターを用意しているわけですけど、CCが本当にコラボレーションを支援するのかどうかは未知数だと思うんです。当然、面倒くさいといって弾かれてしまう人もいるわけだし。まあ、アニメの背景やFFとかメタルギアのなかの看板にひょっこりキャラが使われていたらうれしいな、とは思うんですが。
Creative Commonsを介する意味
ドミニク:
つまりCCを付与するというのは、自分の意図しないところで自分の作品が広がっていく可能性があると同時に、そのことをあらかじめ了承する、ということですよね。もしCreative Commonsなどを介さず二次利用をすれば問題含みですが、そのリスクは避けられる。
西島:
そのとおりなんですけど、僕はCreative Commonsのようなものを介さなくてもいい、と思う部分も残っているのがややこしいんですよね(笑)。僕の作品はまだ「知る人ぞ知る」のレベルだから、さらに微妙なんだけど。
ただ、Creative Commonsがいいなと思うのはこういうことです。たとえばワンフェスの当日版権システムってありますよね。ガイナックスの前身のゼネラルプロダクツがはじめたものですけど、キャラのフィギュア化の権利をイベントの当日だけに限定して申請・許可する仕組みで、この慣習はいままでうまく機能していると思うんです。ちなみに今回、「凹村戦争」の申請が来て、すっごいうれしくて即OKしたんですけどね。で、Creative Commonsに期待するのは、この当日版権の仕組みよりもさらにプライベートな法律だということです。つまり、やろうと思えば当日版権システムを経由しなくても、フィギュア化することができる。
当日版権は、ファン活動の中から育ったすばらしいルールだと思うんですけど、可能性の話だけするなら、でもCreative Commonsというのは、ある当日版権システムをすっ飛ばすことができてしまう。いわば超法規的なものである、と(笑)。ワンフェスのルールを越えちゃうこと自体に深い意味はないと思いますけど、そういうことが出来ることがすごいなあと。すごいからなんだと言われるとそれまでですけど。
ドミニク:
ワンフェスは大きな機構の下でつくられた慣習だったけれども、Creative Commonsはさらに個人のレベルで新しい動きが出てくる可能性があるということですね。
西島:
もちろん、個人レベルでそんなことをするのは面倒くさいというひともいるでしょうし。もっと一般に浸透していかないと、このへんは本当にわからないですね。
たとえばレッシグもコミケに注目していたという話がありましたけど、コミケで二次創作をしている人や出版社の関係にCreative Commonsみたいな話を持ち込むと、いろいろと面倒な話になると思うんです。同人の作家さんたちはたしかにコラボレーション的なのかもしれないし、彼らのような存在が使ってくれば面白いけど、表立って権利関係をはっきりさせるようなものは介入して欲しくない、という意識もあるでしょう。そこは繊細な問題だし、心情的な面も含めて難しいと思います。
逆に、もし自分が同人活動している作家だったら、アイデンティティ・クライシスを起こしてキャラクターデザインはできなかったかもしれないですね。「コミケでいいじゃん。そこは許されているんだから、ほっといてくれ」という気持ちもあっておかしくないですからね。いや、僕もイベントで配ったMIX-CDとか著作的にむちゃくちゃやってるから、僕どっちかっていうと「ほっといてくれ」って側の人ですけど。うーん……。
あと言えるのは、出版社と仕事をしていても、実はそこまで厳密に法的な決まり事があるわけでもなかったりすること。いや、編集者と僕のルーズさもあるかもしれないけれど(笑)、契約書をきっちり交わしたりしないまま普通に本が出たりしますから。法律だ法律だといって動いているはずの世の中も、意外とルーズだったりするので、Creative Commonsみたいなものを先手を打って採用するのは、創り手として攻めている行動なのかなと思います。
ただ、そうした攻めの一手を打つ必要するすらもないレベルもありますよね。僕もどっちかといえばそちら側の住人だと思っていますけど。たとえばECDとイルリメがアカペラのラップを上げて、勝手にリミックスしてくれというWeb企画があるんですけど、これはCC表記とかもないところで勝手にやってくれ、というものです。送り手がもう好き勝手にやってくれ、と最初から投げっぱなしの態度をとっているわけで、どう転んでも怒られないし、縛りが一切ない。こういう手段も最終的にはありだと思います。
でもまあ、投げっぱなしただけでは、世の中的には広がらないですよね。僕は広がらないレベルでなにかやるのもすごく好きなんですけど、それだと『鉄拳』の背景に入り込んだりする可能性はないわけで、そう考えると Creative Commons とかにはそういう可能性もあるのかもしれない。だからそれはそれでいい、どっちもありだと思うわけです。なんだか話がループしてますが(笑)。
ドミニク:
(笑)たとえば超法規的とおっしゃいましたが、CCのライセンス証の裏には、著作権法に基づいた何百行に及ぶ契約書というものがちゃんとオーバーレイされていて、事前に争いを防ぐという意味合いも強いわけです。攻めという意味では、「ガンガン俺の作品をパクってくれ」という自己言及的なメッセージにもなるわけですが、その一方で、「こんな使い方もあったとは」と驚く機会があっても、そこで揉め事にならずに済む。もし口頭で「がんがん使っていいよ」と言っていても、3年後に意図せざる使われ方に出会ったとき、「やっぱりやめてくれ」と言ってしまって揉めてしまうかもしれない。こうしたトラブルを未然に防ぐ機能もありますね。
キャラの二次利用に期待するもの(2)
ドミニク:
たとえば、西島さんのキャラを改変した作品が出てきたとして、それを西島さんが再利用する、という可能性があると思うんですが。
西島:
いや、あるんじゃないでしょうか。たとえばコーネリアスの「Point」というリミックスアルバムなんかは、サイト上で楽曲を提供して、よかったものはアルバムに入れますという公募企画をやってましたけど、そういうレスポンスはとても面白いと思う。たとえば今回のコモコモが絵本とかに勝手になっていてもいいわけですが、僕がやってもいいわけですよね。いまのキャラは最小限の進化パタンにとどまっているので、鎧を着たりしたかわいいキャラが出てきてくれれば、自分はそれを使ってマンガなりアニメなりで別の物語をつくるかもしれない。そういうレスポンスはあまりいままでなかったので、期待していますね。たまに同人サイトで僕の作品のイラストを描いてくれたりすることはあって、いつも「かわいいなぁ~」って思って見てますから(笑)。
いまのところ予想の付く範囲でしか考えられませんけど、突然ぬいぐるみとかになっていて、UFOキャッチャーにコロンと入っていたら、いいですよね(笑)。そこまで広がったときにはまた別の問題もあるでしょうけど、中国でクレヨンしんちゃんのキャラが勝手に増えて困るみたいな事態に僕は直面したことがないので(笑)、むしろ困った事態に遭遇したくもありますね。
もちろんCreative Commonsはそういう事態を回避するためのものなんですけど、むしろ来るべき事態に備える予行演習みたいな(笑)気持ちもあって、今回のキャラクターデザインにトライしたという意味もあります。……これっていい話なのかな?
ドミニク:
いや、いい話だと思います(笑)。
「申し訳のなさ」の表出としての引用
逆に、ほかのマンガ家やイラストレーターの方がCCライセンスで作品を公開された場合はどうでしょう。CCを使われていない場合にせよ、たとえば「凹村戦争」のなかで多様な引用をされていますよね。タイトルはオーソン・ウェルズを参照しているわけですし、内容的にも思想的な引用もなされている。西島さんの活動のなかで、引用という行為はどのような重要度をもっているのでしょうか。
西島:
引用というのは、文脈や歴史のパースペクティブを把握することだと思うんですよ。なんにもない状態で、「これは僕のオリジナルです」と言うほどずうずうしくはない、というか。逆にそういう人が多いからCreative Commonsのようなものも出てくるんだと思うんです。たとえば僕の絵もオタクっぽくないとか言われますけど、それはとんでもないと思っていて、僕は非常にオタク的なものから数多くの抽出をしていますし、いろいろなものの上に僕の絵は成り立っていて、突然変異のように生まれたオリジナルの絵だとは思っていない。見えないところでつながっている、とか言うと、なんか窪塚洋介みたいですけどね(笑)。そういう意識は強くもっていて、それが自然と出ているのでああいう作品になったかもしれません。
自分にとって引用というのは、こと僕に関していえば、申し訳なさの現われだと思っています。それがそれである、と言わずにいられない責任感というか、謙虚さというのかな。「すいません、これはこういうつもりで描いています」と言わずにいられないし、知らないフリをできない。つまり僕が引用というかたちで言語化する、つまりキャラクターのセリフなりモノローグにしてしまうのは、「僕がいきなり無から創っていきなり出したものは何ひとつありませんよ」という謙虚な姿勢があるからなんですね。謙虚って自分でいうのも、なんかぜんぜん謙虚じゃないですけど(笑)。でも、見る人によっては、「こいつパクりまくってるよ」と思われるのかもしれないし、そうした自覚的な態度がウザく見えてしまうかもしれない。少なくとも僕に関しては、表現活動をするとき、抗えない流れのなかにいることに対する「ため息」のようなものがあって、それが非常に分かりやすい露骨な引用として表出するのかなって思います。
たとえばアニメ映画の『ライオンキング』が出てきたときに、「ジャングル大帝」のパクリだという話がありましけど、手塚プロがなぜ訴えなかったのかを深く考えるとわかる話だと思うんです。手塚治虫の初期作品(『メトロポリス』)のなかには、「ミキマウス・ウォルトディズニーニ」というミッキーそっくりのキャラがあって、彼の絵はそういうところから成立している。だから手塚治虫はライオンキングをパクリだとは言えなかった。これってすごく謙虚なことだと思うんですよ。神様・手塚治虫ですらそういう流れのなにあるんだなって想像すると、なんか感動してしまいますね。
ドミニク:
マンガを描くだけじゃなく、音楽を創るひともモノを書くひとも万人が引用をしているけれども、誰もがそれを明示的にしているわけではない。西島さんは、引用を行う事への申し訳のなさとして引用を明示化する、ということですね。
西島:
そうですね。その行為が、あまり申し訳のなさそうやってるように見えないことが、僕の作品の特長だったりもするわけですが。いや、ほんと謙虚な気持ちなんですけど……。
ドミニク:
それは読み手の問題もありますね。
Creative Commonsを付与されたものを使う場合、申し訳のなさも際立つわけですよね。はっきりとこれは引用です、と引用する側から示すことができるわけですから。
作品の自意識の視覚化
西島:
たとえば「かめはめ波」にCCライセンスが登録されたら、「幽遊白書」の「霊丸」にもCCが入るわけですよね、くだらない例え話ばっかりで申し訳ないんですけど(笑)。東さんの言葉を使えば、不可視なものを過剰に視覚化するというのかな。それって面倒くさいことなんですけど、ちょっと笑えるというか面白いところはありますよね。これは別にCreative Commonsが意図するものではないかもしれないけど。僕が今回デザインしたキャラも、「営利目的のツノ」とか「条件改変アリの翼」みたいな話をしていましたけど、これって「かめはめ波」がCC取ったら、いろんなマンガで「ハーッ!」って撃つごとにCC取らないといけない(笑)という面白さに近いものがある。
つまり、Creative Commonsによってなにかを守りたいというよりは、作品の自意識みたいなものがむき出しにされるのが面白い。これってすごく引いて見た話ですけど、自分は常にそうした作品の自意識に直面している作家だと思うので、そういう意味でもCreative Commonsは面白いと思うんです。
ドミニク:
いまのお話は、非常にこのインタビューの締めとしてふさわしい内容だったと思います。
西島:
いや、なんか話しながら、自分でも発見がありました。
ドミニク:
つまり今日のお話は、サンプリングをする側としての西島さんと、サンプリングを促進する側としての西島さんという二つの側面があって、それがCreative Commonsという制度の上で統合されるという話だったと思います。
それでは最後に、今回西島さんが創ったキャラを使うであろう人々に、メッセージなどがありましたらお願いします。こういう風に使って欲しい、使って欲しくないという話でもいいです。
西島:
逆にそれを設定しちゃうとだめですよね。
ドミニク:
そうですね。まだ未知数なんですが、このCCキャラクターたちを使うであろう、まだ顔の見えない人々に対する期待などをお話していただければ。
西島:
段階に応じてどうぞ好きにお使いくださいということを定めたわけなので、どうぞ使っていただければと思います。もう好き勝手にやってください。あとは、状況を変えるという意味では、大企業がこれを使うということに期待したいです。使ってもいいことになっていますから。たとえば講談社ノベルスの犬のかわりになるとか、ふと気づいたら、サンリオで正規採用されてハロー・キティの隣にコモコモがいたりとか(笑)。あと、なぜかディズニーランドにいたりとか。そんな状況になっちゃうと面白いですよね。収拾がつかないくらいの事態になったら大変だけど、それはそれで面白いと思うので、楽しみにしています。
ドミニク:
今日はどうもありがとうございました。
西島大介プロフィール:
74年10月5日生まれ。漫画家、イラストレーター。たまに映像制作や文筆も。著書に『凹村戦争』(早川書房)、『世界の終わりの魔法使い』(河出書房新社)など.2005年夏に新刊『ディエンビエンフー』を刊行予定.
レコード会社数社がCopy Control CDというCDに収録された楽曲の違法コピーや海賊版流通を規制するために作った規格に多数のミュージシャンや有識者が起こした不買運動。
ラッパーのイルリメとECDが自身らの楽曲をウェブサイト上で公開、ユーザーに対して自由な二次利用を予め許可した。本文後半参照
いがらし寒月、大川緋芭、猫井 椿、もこなの女性4名からなる創作集団。『東京BABYLON』『X』『魔法騎士レイアース』『カードキャプターさくら』『ANGELIC LAYER』『ちょびっツ』などを発表する。
『Metallica: Some Kind of Monster』、2004、邦題『メタリカ・真実の瞬間』、2005年夏日本公開予定
アーティスト岡本太郎のベトナム戦争反対時に制作した『殺すな』という書体。2002年よりに美術評論家の椹木野衣や元・現代美術家の小田マサノリらが太郎の「殺すな」を「殺す・な」へとリミックスし、イラク戦争反対運動を展開してきた。例えばReal Tokyoの小崎哲也のコラムに詳しい。
哲学者の鶴見俊輔らが60年代後半に日本で起こした反戦運動の名称
フリー雑誌『BOUNCE』上でオレンジレンジのメンバーが自身らを「俺たちの合言葉はパクろうぜ!みたいな(笑)」と答えたところ、多数のアーティストのメロディーラインをそのまま登用していた事が多数の検証ウェブサイト上で暴露された
戦闘機の隊員が、縁起を担いだり士気を高めるために戦闘機に描くイラストレーションのことで、セクシーなピンナップが描かれるものが有名。そのオタク文化との関連は、例えば森川嘉一朗著『趣都の誕生』(幻冬舎)に詳しい。
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ゲーム会社スクエアソフト(現スクエア・エニックス)が1986年より制作してきたRPGシリーズ『ファイナルファンタジー』の略称。シリーズ7作目以降、3Dモデリングされた世界観を提示、10作目は大多数オンラインユーザーに対応したネットワーク・ゲームになっている。
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1980年初期よりDAICON FILMとして同人アニメ制作グループとして活動を開始、伝説的な同人アニメを制作したアニメーターたちが母体となって、90年代には「新世紀エヴァンゲリオン」(庵野秀明監督)のヒットで社会現象を起こすアニメ制作会社。
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