3回目のフィーチャーは現代美術家の鴻池朋子さんを特集します。鴻池さんは現代アートというフレームの中で活躍されてきて、国内外の美術館で精力的に出品されていますが、その傍らワークショップを主催したりAランチという新しい展覧会のデザインを行うなど、既存のアートの制度を更新していくような活動にも尽力されています。
今回はcommonsphereからの提案で、鴻池さんの映像作品にクリエイティブコモンズ・ライセンスを付与してウェブ上で公開する運びになりました。「みみお」という絵本のシリーズから派生したこの映像作品は、数あるバージョンの中でも、作中で使用している音楽のCD使用権が制約となり、公の場所で展示や上映ができなくなっていました。
鴻池さんはこのお蔵入りしていた作品に再びネットの力を借りて生命を吹き込んであげるために、ライセンスを付けて、ネット上の未だ見ぬ他者によって二次改変されて成長していくことを願っています。*コンテンツ・ページで現在Quicktime形式のファイルを公開中です
現代美術という領域の中で、自身の作品にCCライセンスを付与する試みは恐らく美術史上初となります。このインタビューでは、アーティストとしての鴻池さんがどうしてCCライセンスの使用を決断したのかを理解するために、今までのご活動について聞いてみました。
鴻池スタジオの一角
収録日時:2005/10/30
鴻池スタジオ内
インタビュアー・写真撮影・編集:ドミニク・チェン
美術との出会い
ドミニク・チェン(以下、ドミニク):
今日は鴻池さんの背景をお聞きしながら、どのような経緯で現在に至ったのかを探りたいと思います.それでは一気に、「どうしてアーティストになったのか」という質問から始めましょう(笑)高校時代は、どういう人だったんですか?
鴻池朋子(以下、鴻池):
秋田県にいましたね。高校時代は秋田でのびのびとぼーっとしてました(笑)。ただ生きてた、みたいな。
ドミニク:
そうなんだ(笑)じゃあ、あまり美術などについては考えていなかった?
鴻池:
マンガや絵が上手く描けたとはいえ、それが重要な事とは思わなかったし、だから美術部とかにも入らなかった。そういう部活とかグループで絵を描く意味が分からなかったです。
ドミニク:
それではどうして芸大を受けようと?
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鴻池:
予備校に行ってた友達がいて、芸大受験のために石膏デッサンをやってる現場を見て面白く思えました。そこではみんな上手くて、学校で描いてるのとは全然違う、受験のために描いてるという、気合いが入ってる人たちがいて。競争心みたいなものを感じました。とりあえず自分でも出来るんじゃないかと思い、それで夏期講習に参加し実際に描いてみると、何浪もしている人たちがいたんですけど、そういう人たちの中で自分のデッサンが最初はランキングの一番最後ぐらいに並べられて、ヒエー!みたいな(笑)そういう驚きがありましたね。
ドミニク:
まるで道場みたいですね。
鴻池:
そう。最初は全然上手く描けなくて、段々テクニックを身につけてきて。でも、最初はそういうものなんですよね、受験のノウハウがないから。ランキングはそういうおもしろさがあるんです、絵に正解があるわけだから。多くの日本のアーティストたちは石膏デッサンで燃えてきたわけなんです。そしてあれ程入りたかった大学に入ったんですが、入ってから次第に情熱が失われていくのがわかりました。(笑)
ドミニク:
意外と淡白なんですね(笑)それでは、そもそもどうして日本画を学ぼうとしたんですか?
鴻池:
水彩の透明感が好きだったからです。油で何度も塗り重ねて行くよりも、鉛筆で描いた上にさっと塗る透明感が好きだった。それと、倍率が油絵よりも低かったから。だからラクチンなんじゃないかな、と。(笑)私は結構ラクチンな方にいくタイプなんですよ。
ドミニク:
基本的に面倒くさがり屋なんですね(笑)
鴻池:
そうそう、面倒くさがり屋だから、自分で何とかして楽な方法を考えようとして、で、結局道草を一杯してしまうんですよね。自分で探さないと気が済まないので、発明家みたいに始めから辿るんですが、出来た時には「それはもう発明されてるよ」っていう。
表現のルール
ドミニク:
お話を聞いていると、どこか全体的にデジタルな感じがしますね。ランキングが面白いとか、競争率とか、レイヤー的な表面性が好きとか。制度というかルールに対しても非常に意識的ですよね。
鴻池:
黒子のような見えないルールがあると、やはり想像力を膨らませる上でも面白いんです。でも当時大学はそこそこ課題を提出しさえすれば、卒業できるといういい加減な名ばかりのところで。やっぱり先生が教育に関して全然情熱がなかったと思います。それは日本画界でいう大御所の教授陣がです。
大学の空間は温室ですごく一見自由ですけど、同時に適当なんです。先生方は教授会で自分たちのランキングだけ争っていればいいという(笑)。
ドミニク:
それは分かりやすいですね(笑)
鴻池:
学生は師を求めているんですよ。本当に真摯に大学でしか体験できない事とそれを導いてくれる教師を。実際、自分たちの政治力だけを高めて、この先生は何をしているんだろう、そういうずっと大学内だけに存在できるような先生は結構いました。まあ、私の反抗も問題だったんですけどね。当時は気持ちはパンクでとんがってました(笑)。当たり前ですがファッションや音楽に関しても、大学の外のほうが圧倒的に情報量があって面白かったですし。このまえ武蔵野美大に呼ばれて講義をした際、自分でレクチャーしていて気付いたんですが、私の活動って雑多なんです、メディアが。平面、立体、映像、本、おもちゃの様な形態もしているし、ゲームっぽいワークショップもするし。生活の全部を飲み込んで、全部で吐き出すんです。しかし、そういう人もあってよいという姿勢が当時の大学には無かったですね。今の大学は多様化に対応していこうと学部を増設してますが、芸大の先端とか。でも例えば美大行きながらデジハリいく、みたいな選択肢がありますよね?だから私は雑多世代一号です。
ドミニク:
強引に接続してはいけないと思いますが、時代区分的に見て面白いのは、同じ日本画科に村上さんが鴻池さんの一年下にいて、彼もそれ以後もやはりとても多様な活動を展開されてきた。彼の博士論文は日本画科や芸大そのものに対する挑戦、といって言い過ぎであればオルタナティブの提案だったわけですね。時代的な必然もあると思いますが、彼もアートのフレームを自分で拡張して、それこそ「雑多」に活動してきた。
鴻池:
私の「雑多」世代をもっと具体的に言うと「雑貨」「ファンシー」という言葉が出て来た頃です。何の役にも立たない機能的でもない、ただただ可愛らしい小物たちが生活に出現し、それと同時に、家に溢れかえるモノの山を消却する「フリーマーケット」も初めて開催され、私も出店したりしました。どんどん生活の中にあったモノが外に露見して溢れていく日常です。
ドミニク:
それで鴻池さんは大学を卒業した後に玩具会社に突然行かれるんですね。その時は既に日本画に執着は無かったんですね。
鴻池:
私の周りは結構日本画家に執着する人が多かった。25人中20人ぐらい院生に残って、院展、創画展という公募展に出品するわけです。
ドミニク:
ちなみに鴻池さんは何を描いてたんですか?
鴻池:
大学一年の動物制作で、双頭のワニとか描いてました(笑)。絵って私にすれば描きたいと思わなければ描けないものなのに、課題で描きましょうって言われてもよく解らなかった。なぜか「なんで描くの」という疑問が常にありましたね。
ドミニク:
主題の根拠づけが全く無いわけですね。
鴻池:
無いですね。でも根拠が無くても描ける人は沢山います。でも私はうまくできなかった。それは後にわかった事ですが、日本画というのはきちんと技術を習得して表現すれば、本当に美しいものなんです。でもメディウムのニカワをふやかし、岩絵具と混ぜ合わせ、やっと絵具が出来て、さあ塗りましょうっていう段階になると、自分が何をやりたかったか忘れてしまっている。鉛筆だったら思ったらさっと描ける。その表現に移るまでの時間差というか、素材との相性の悪さというのがあった。
ドミニク:
速度の問題なんだ!
鴻池:
速度ですね(笑)というわけで、私は逆詐称したいぐらい、芸大には申し訳ない程、執着が無いですね。
シミュレーションとしての玩具
ドミニク:
では、そこから玩具会社への就職というのはどういう動機があったんですか?
鴻池:
そこでもラクチンな道を探していて。玩具会社だったら適当に絵を描いて遊びながら仕事していけるんだろう、と甘い考えで入ったんだけど。それが良くも悪くも私の全てを物語っているよね。
私のモノ作りの始まり、モノを作る最初の快感を覚えた時です。おもちゃは大人の世界の全部のシミュレーションだから、企画が始まると全部をくまなく勉強します。カバの歯医者さんだったら、歯科医のリサーチをしたりしてね。
ドミニク:
リアルなシミュレーションを行うためにきちんとリサーチに基づいて作っていくわけですね。
鴻池:
お巡りさんになりたいとか、お母さんになりたいとか、そういう自分の中の子どもの領域を考えて企画するわけです。
ドミニク:
それでは玩具会社での経験は全体的に何をもたらしたんですか?
鴻池:
「客観性」を知りました。私は使っちゃ行けない中間色とか使ってクライアントといつも衝突してました。男の子なら青、女の子なら赤とかピンク、という既成概念が古い玩具の世界にはあって、私がサーモンピンクを入れ込むと、「くすんだピンクは汚い」とクライアントに言われたりして。ペパーミント・グリーンを使うと「カビの色」とか言われて(笑)。
ドミニク:
鴻池さんはそこで表現してたんですね、デザインというよりは。大人が子どもに買い与えるものという風に見ていなかった。
鴻池:
でもデザインという偉大な概念を学びました。例えばSTという玩具安全基準などのルールや制約があるなかでのクリエイティブな発想の仕方、アイデアの出し方。15人ぐらい男性スタッフがいる中で、私は一番子供でワガママにやっていたんだけど、周りの先輩たちが「この子のアイデアを商品化してあげよう」という風にフォローしてくれて。人のアイデアでも良いと思ったら、チーム全体でそのアイデアの具現化という目的に向って作業していくというスタンスがあって、自分自分という執着から離れていく所がスゴいな、と思った。私は自分しか見てない人だったから。
ドミニク:
コラボレーションを通して、モノができていく過程が新鮮だったんですね。
鴻池:
デザインとは本来そういうもので、プロフェッショナルなデザイナーにとっては当たり前の事なんだけど、これは非常に大きかったですね。
ドミニク:
アイデアを複数で共有して並列で作っていくというのは鴻池さんの制作観には無かったんですね。
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鴻池:
そう、普通だったら自分の絵に上描きされる事はとてもいやなこと。それを受け入れられたのは、先輩の一人がグーの音も出ないぐらい絵がうまい優秀なデザイナーだったからなんです(笑)。でも商品化というのは常にこれだけ多くの情報を取り込んで、アウトプットしていかなければならないのでキツいと思いましたが。ただ、よかったのはその会社は自由な気風があって、いろんなジャンルの人が訪れるし、企画室ではバービー人形、戦隊モノのロボットやマンガがあったり、男たちがずっとゲームやってて、遊んでるのかリサーチしてるのか分からないという(笑)状況が面白くて。だから学びながら遊ぶ学校のようでした。そういえば、コンピュータゲームの企画のために外部から来ていた学生時代の岩井さんにもすれ違ったのはその会社だったんですけどね。
デザインというベクトル
ドミニク:
その玩具会社をやめた後はどういう活動に映ったんですか?
鴻池:
デザインは対象を明解に見定めて商品をつくりますよね、玩具も同様に。だからもっと混沌とした状態に行きたかったという思いがありました。それでターゲットの振り幅が広い「雑貨」という名のもとに、インテリア、文房具、ファッション、ギフト、本当にくだらないモノまで含む雑多な領域に踏み込んでいきました。オリジナル家具もデザインしました。時代はバブルで予算があり多くの実験ができましたね。尻尾のついた椅子とか耳の付いたテーブルとかを作ったりして。それが現在を予兆していますね。
ドミニク:
なるほど。でもそこからアーティストに戻っていくきっかけは何だったんですか?
鴻池:
きっかけは芸大のデザイン科に非常勤講師で呼ばれた時です。未成熟で技術もないのに気持ちや感情だけで物作りをする学生達を見て、最初はとても嫌悪感を覚えました。デザインには引き算の美学があるから。でもそういう懸命に無駄な事をする学生たちを見ていて、逆に何か気持ちを揺り動かされるようになりました。
デザインというと快適であるとか美しいとか居心地がいいとか共存とか、ベクトルが正の方向をむいてますよね。でもその過程で必ず抜け落ちていくものがある。この色は受けないとか、この形は危険だとか、未熟さ弱さ恐さバランスの悪さとかも。
ドミニク:
美術というプラットフォームはそういう抜け落ちていくものを救い上げると。
鴻池:
そうですね、良いも悪いも全て含んだ表現だというか。でも美大のデザイン科は、作品かわからないクズみたいなのばっかり作ってるんですよ(笑)。デザイン科とは名ばかりの。その訳の解らない子どものような事ができるのも大事であり、逆にデザインというものが非常に大人で、明快で、共同作業で、大変な事でもあるという事が分かったんですね。そういう意味で、優秀なデザイナーは一番尊敬する人種かも知れない。
アートへの回帰
ドミニク:
ここでちょっと整理しますね。予備校時代に競争的な社会感覚を植え付けられて、でも大学ではアーティストとして大人になるプロセスを教えて貰えず、逆に玩具会社で大人の世界の勉強をして、デザインの仕事で自由に表現を行っていたけど、デザインの講師をやってその限界を感じて、またアートという子どもの世界に戻っていったという、こういう感じでしょうか?
鴻池:
そう。でも大人を経験した子どもだから強力だよ(笑)
ドミニク:
今度は自分でまたプレイグラウンド作り、というかルール作りをしたくなってアーティストになったという事ですか。
鴻池:
そうだね、本当だね。そうか、知らなかった(笑)。でも私は旗を振るタイプじゃないから。
ドミニク:
でも六感の森とかワークショップとか、後はAランチで思いっきり旗を振ってるじゃないですか(笑)
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鴻池:
「旗を振る」というのはみなさんこっちよ、さあついてらっしゃいという事だけど、私は思想を貫くとか導く事には興味がなくて、ただ現象を起こすだけ。その現象を体験した人がどうなるかは体験者の問題です。それに「作る」よりも「見たい」という欲望の方が強いからなんです。私の絵を見ると、病的に閉じこもって取り憑かれたように制作するイメージを抱くみたいですが(笑)、でも実は嫌で嫌でしょうがない時もあって、そういう時はテレビやラジオをつけて、「自分が絵を描いてるんじゃないぞ」っていう自己暗示にかけて制作するような、非常にいい加減な人なんです。でも最後を見たいから描く。
ドミニク:
その見たいという衝動は、おもちゃがシミュレーションであるといったように、「人が作るのを見たい」という欲望のために箱庭的な世界を作って、後はみんな勝手にやって、という感覚ですか。
鴻池:
出来上がった時に初めて作品と出会う人は私ですから、まず一等私が見たいです。恐くてわくわくします。人がどう動くかを眺めるのはその次。
またルールとか規制は自由の対極にあるわけじゃないけど、遊ぶためのルールがないと楽しく遊べないんですね。楽しく遊ぶためにはちゃんとルールを作らないといけない。
ワークショップという表現形式
ドミニク:
また繋げて言うと、人が作るのを見たい、というその衝動はワークショップやAランチに継承されていくわけですね。
鴻池:
ワークショップって盛り上がるんですよ。でも本当はワークショップが面白いというのはダメですよ、展覧会が面白くないと(笑)。でも『ストーリーテラーズ』展の時は、私をキャスティングした森美のキュレーターの荒木さんや準備に関わったスタッフのおかげで、ある意味展覧会を作っているような感触があって全体的に非常に面白かった。でもワークショップにこそ展覧会の本質が見えたという感覚はあって、まだこの複雑な感情は解決してないんですけど。
ドミニク:
それではそのワークショップでどのような事が行われたのか、説明して貰えますか?
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鴻池:
展覧会パブリックプログラムと、J-WAVEの人気番組BOOM TOWNとのコラボイベントと2回行ないました。後者の『アート・ピクニック』で行なった時は、美術館が17:00に閉館後、番組リスナー向けでしたので、会場が参加者20人だけの夜の美術館スペースになったんですね。このシチュエーションは非常に重要だった。最初に扱ったキャラ・ウオーカーは南北戦争や人種対立をテーマにして切り絵で表現する作家で、そこに参加者に日本的な漫画の吹き出しをつけてもらい、言葉を自由に入れてもらったんですね。参加者たちは「ワー」とか「キャー」とか適当な言葉を非常に悲惨なシーンを表している切り絵に入れていきます。まずそれが参加者のためのウオーミングアップだったんだけど、そこで気が付いた、キャラ・ウオーカーの作品ってペインティングではなく紙を切って作ってるから、非常に表情が軽いんですね。その軽さっていうのが、私たちに遊んでもいいような気を与えてくれる。テーマがシリアスなのに、なんていうか、全然重くないんですよ。
ドミニク:
観る人によるそういう介入を、彼女の作品が既にアフォードしているわけですね。彼女自身の背景にある設定を度外視して、語っていいよ、というように。
鴻池:
そう、語っていいんですよ。又キャラ・ウオーカー自身も非常に知的で伸びやかさのある女性で作品と絶妙な距離がありました。その次はイケムラレイコさんの作品です。胴体の真ん中が空洞の女の子が横たわっていて、その子のスカートが風に膨らんでいる彫刻だったんですけど、参加者にはここで作家になって作品を解説する権限を与え、自由に語ってくださいとお願いしたんですね。そこで、作家だから何を言ってもよいという所で参加者の意識もパチンと弾けて、全員が面白いことを言い始めたんです。架空の歴史を語ったりして。
ドミニク:
それはイケムラさん自身になりきるわけではなくて、個別の作家になるわけですね。
鴻池:
そう、私はパキスタンの作家ですとか、これは便器として作ったんです、とか。
受け狙いの人もいればシリアスな人もいて、でも全部正解なんですね、全員作家だから(笑)でもそれはイケムラさんの作品が質の高い作品だったからと思ったんです。良い作品というのは皆が突っ込める隙があるんですよ。どんなに突っ込んで遊んでも良い作品は揺らがないんです。からっぽの胴体という所で何か同時代性を感じるし、作品がものすごく物語っているから、それを選択した時点で成功が見えていたというか。
ドミニク:
その後に鴻池さんの作品に突入していったんですね。
鴻池:
そう、まずは私の絵画を見てもらって、そこで思ったことや感じたことを石に体言止めで描いてもらう、その次に作品の部屋に置かれたツボの中から石を拾ってきてもらう。石にはあらかじめ仕込んだ言葉が書かれている。最初に書いた石が上の句、ツボから拾った石が下の句となって、全部のフレーズが完成する、という。半分自分で書いた責任と、もう半分は人の言葉を借りた事で、全然違う言葉ができ上がってしまう。そういう風に表現が出来上がっていく。
ドミニク:
その参加者の表現はコメントとか批評とかいう位置づけだったんですか。
鴻池:
なんでも良かったんです。それは「今日の言葉」という事で(笑)、今日出会った私と皆さんの物語のコラボレーションという事でもいいです。どうしてそういう事をしたかというと、私はいわゆる画家が、描き方を一緒に覚えましょう的な絵を描いたり紙をきったりものは興味ないからなんですよ。すでに作品で自分はもうやったし、つまんないじゃない。さっきも言ったように自分も一番驚きたいからしたいんです。
また環境がとても良かったですね。53階で遠くに夜景があって、舞台のような神秘的な場が作れて、最後に自分の石に言葉が降りて来て、ワーみたいな。
ドミニク:
宗教チックですね(笑)
鴻池:
そう、宗教ゴッコ、占いゴッコをやったんですよ(笑)。自分で選ぶという事が半分あって、半分天から降りて来て。
ドミニク:
選択から偶然へ、というとジョン・ケージのチャンス・オペレーションじゃないけど、偶然の部分を前に押し出していくという訳ですね。
鴻池:
そう、偶然のような神秘性があるんだけど、実はきちんと下の句を上手に操作するなど、重要な遊びのデザインがなされてるからなんです。面白くなるには7割ぐらいのアタリと感じる石を導入し、あとの3割は偶然でも何でもいい。この7対3というのは経験値ですね。
ギャラリー制度のオルタナティブを作る
ドミニク:
なるほど。それではこのワークショップの二ヶ月前に開催して、今も次回の準備を進められている『Aランチ』について教えて下さい。『Aランチ』もやはり観客に作品を選択させる事によって、より深くコミットさせるシステムですね。そのコンセプトを一言でいうとどう表現されますか?
鴻池:
『Aランチ』のコンセプトは、「美術館はディナーだけど、私たちはランチです」という事。つまりランチはクオリティのいい素材でリーズナブルに体験できるんですね。ディナーは真っ当な事をしないといけない、けれどランチはイレギュラーでも良いし、新しい素材も使えるし。それとやっぱり『Aランチ』は観客が作品を選択するという部分が面白い。いわゆる展覧会はほとんど開催者側に見せられてきた受け身だったわけですけど、『Aランチ』で起きている事はキュレーションの改変とか、権力が観客に委譲されるとか、何かが逆転したような感じがあります。
ドミニク:
それはアートの市場についても関連して来ると思われるわけです。当たり前ですが、新しいアートの見方は新しい消費の構造に繋がりますね。例えばギャラリーで展示、アートフェアに出展したりするという時にアーティストとして今までのギャラリー制度というのはどう評価されますか。
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鴻池:
ギャラリーは作品を売る場所です。私はメーカーで、ギャラリーは小売店ですね私は作品の卸をするわけですよ。それにコミッションを付けて、売っていくショールームとしてのギャラリー。それと海外からの問い合わせや取材の窓口がありますね。また芸能事務所みたいに、作家のプレスやプロモーションも行う。もっと単純にするとギャラリーはパン屋さんなんじゃないかな。あそこのパンは美味しい、とか(笑)。客にとっては現代美術や洋画、日本画、メディアアートを買うために、パン屋に行くのか靴屋に行くのかという違いでしかない。つまりギャラリーはアートプロデュースを行う完全なビジネスの場です。
でも作品を作るという事はまったく違う。アート業界と呼ばれる狭い範囲で話題になって売れていてもso what ?です。アートは全てのジャンルに対して勝負できてないとダメじゃないかと思うんです。私はアートはどんな分野にも通用する解放された要素を持っていると思っていますよ。囲い込まれているようなアートは、私のやっていることとはちょっと違うと思う。例えばローリー・アンダーソンみたいな人も、曲つくって売ろうという事が目的ではなくて、最初のインスピレーションを表現しているだけで、音楽家も影響受けるし、NASAも影響受けちゃう、というような役割。そういう役割がアーティストにあると思っています。
ドミニク:
とても面白い比喩ですね。ギャラリーが芸能事務所や小売店だとしたら、『Aランチ』は何に喩えられるんでしょうね。
鴻池:
Aランチはカタログショッピング、つまり通販なんです。本来はギャラリーだったら、ちゃんと顧客になって、何度も同じ作家を見て、その店に通い続けるということをするのに、今はみんなテレビ見ながら買いたい、という堕落したことをやりたいわけじゃない(笑)。それで、出掛けなくても届けられちゃう、という、アマゾンで本買ったりするのと同じ感覚。
ドミニク:
流通形態が変わるべきなんですね。
鴻池:
そう。秋田にいても、東京でしか買えないものが買えてしまうわけ。でも逆に買った人に今度は責任が被さってくる。『Aランチ』では、一回自分で選んだという事で、自分に選んだ事の責任を半分持たされるわけ。でも全部自分で一から選ぶと難しいし続かないから、『Aランチ』がキュレーションしたメニューから選んでもらうという、作品オーナーのシミュレーション的役割なのね。そこから先にいって、傾倒していけばコレクターみたいになっていく。
ドミニク:
情報がオープンな分、出発点がフェアなんですね。今までキュレーターや美術評論を行ってきた人間たちにとっては危機的状況ですが(笑)もちろん良い意味で、ですが。
鴻池:
でも今までのアートにはライトユーザーがいないじゃない?エディション100の版画持っててもコレクターとは言えないよね。それと作品と観客が今までは対話が出来なかった。それが出来ちゃう時を想像してるのね。とにかく人が沢山来てるというのが見てみたい。
私自身はアーティストとして、世界を変えようなんて思っていなくて、観客自身の視る力が能動的に変われば、自ずと何かが見えて来るような。
ドミニク:
言い換えると、自分が世界を変えていくのではなくて、世界が変わっていく契機を作っていく感じでしょうか。
鴻池:
今まで作品の善し悪しは語られて来たけど、観客の善し悪しはいわれてこなかったでしょう(笑)。今回は私が観客をランキングしてやろうぐらいの思いがあるんです。見る側がある程度の責任を負う事によってアートも全体的に活性化すると思うんですね。
観者との対話ツールとしてのライセンス
ドミニク:
これは現代アートの世界では始めての試みになると思いますが、今回鴻池さんがクリエイティブ・コモンズを使って作品を公開するというのも同じ話の延長戦にある、というか同じ方向性だと思うんですよね。良い作品を見た時に、言葉を返すのではなく、批評としてリミックスしていく、という事が考えられる。観ること、選ぶ時点で責任があるけれど、その責任を「作品に対して別の作品を作り返してあげる」という事は逆に作家と観客のコミュニケーションとして強力なのではないかと思うんですね。
鴻池:
クリエイティブコモンズとかを使う作家側にはまだ多分、「どう、やってみたら?」と言うぐらいの余裕があると思うんだけど(笑)、それで作った側が焦り始めるぐらいの状況が出て来たら、本当に面白いと思う。私が作ったアニメなのに、全然違って想像しなかったものが出て来たら良いですね。
ドミニク:
それでは、どうして『みみお』という映像作品にライセンスを付与して公開するのかについて教えて下さい。
鴻池:
みみおのこのバージョンは、最初に付けられた音源のCDに制約があって個人的な展示や上映以外全く使えなくなってしまったんです。一度かなりの集中力でその音で完成形をみたので、これにまた新たに音をつける気にはならないし、また今以上のものが自分の中で見えないから、人に投げちゃって全然違う視点で作ってもらえればこれほど作品にとって良いことはないと思うんです。
ドミニク:
それは音楽を付ける事以外の発展でも良いんですね。
鴻池:
そう、何でも良いですね。だから音楽が付けられる以外でも会話が付けられても良いし、映像の順番が再編集されてもいいし、そこは使う人の想像力に任せたいですね。
ドミニク:
クリエイティブ・コモンズはオープンソースという発想に基づいて、表現の素材そのもの、つまり「元」としてのソースを考えているんですね。さっき鴻池さんが「作るのを見たい」と言っていましたが、こういうライセンスはそのためのツールでもあるんですね。
鴻池:
私は実を言うと、あまりちゃんと社会にとって影響を与えるというよりも、自分の投げた石が波紋を広げていくのを見たいだけなんです(笑)その石を投げる時にそれ使っちゃダメとか言う、うるさい親がいなければいいというだけであって。つまり私は出来上がった作品に執着が無いのかもしれないね。もちろん制作中は「私の表現の中に入ってこないで!」っていう部分はあるんだけど、出来上がった作品を見た人がどう感じようと、その人と作品との間に誰かが介入すべきことではないし、もっとも他人が立ち入れない想像力の領域ですし。
未知との媒介
ドミニク:
ライセンスを付けて公開するという事は、ある意味鴻池さんがワークショップでやったことをネットワーク上に置き換えるような意味もあると思うんですね。別の言い方をすれば、作品の遺伝子が継承されていくイメージといえば安易ですけど、その受け皿の部分、どう使われるのかという部分も考えないといけないですね。キャラ・ウオーカーの作品が吹き出しを付ける行為を強くアフォードしていたように。
鴻池:
そう。それでクリエイティブ・コモンズのような場合は、完成された映像よりも、良い素材を投げかけてあげる事の方が大事だと思う。それはキャラクターを置くだけということではなくて、その素材って何なのよって考える方が重要だと思うのね。そういう見えない部分を内在している素材、つまり良い作品というのは皆がそこに入れる「隙」を持っているから、そういう隙のある素材が欲しいというイメージをクリエイティブ・コモンズには感じていますね。
もちろん何回か人が使ってみて失敗しないと分からないと思うのね。試行錯誤を繰り返して、何年かしたら本当に良いアイデアが出てくるような気がしますね。
ドミニク:
具体的には、アーティストとしてご自身の作品がどういう使われ方をされたら良いと思いますか?
鴻池:
自分が考えてもみなかったものを見てみたいです。
また新たに作品が作られていく事と、他方で経済的利益を生まないものが本当に面白くありうるのかという点が今は疑問ですね。やって良かったという部分だけではなくて、どれだけ「本当に使われるか」という点が問われる所だと思う。
ドミニク:
『みみお』の場合であれば、メーカーである鴻池さんが自分の作品へのアクセシビリティが広がる事で、他の企画に繋がったりする、いわばプロモーション的な意味での経済効果は考えられますけどね。でも鴻池さんはプロモーションは必要ないと思いますけど(笑)
鴻池:
うん、それは本質的に時間がかかる事だからね。でも著作権という概念はよく解らないというか、直感的にあやしいと感じる言葉ですね。
ドミニク:
著作権はそもそも制作者の権利を守る機能を実装するために作られたわけですからね。それなのに、それが占有的に利用されて、バランスが崩れてしまう。その中でどうしようと考えた時に、自由度を上げたいという欲求が出て来るのではないでしょうか。
鴻池:
私は必ずしも自由になりたいというのではなくて、私の場合は束縛に非常に弱いんですね。束縛に弱いから、不満にも敏感だし、それをどうにかしようという思いも出て来る、弱点強化ですよ。漠然とした、ある「正義」みたいなものをみんな持っているよね。でも「自分の正義」を通用させるためには「相手の正義」を知り、不満な部分をどうクリアするかというアイデアやビジョンを考えていかないといけないですね。
ドミニク:
その議論は今後とも、長いスパンで続いていくでしょう。今日は長い時間を取って頂いて、ありがとうございました。
アーティスト。1960年生まれ。1984年、東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。以降、玩具会社での企画制作やインテリア会社でのプロダクト・デザインの仕事を経て、2000年のミヅマアートギャラリーでの個展『ひえびえとかがやかしく目ざめる』より平面、立体、映像、インスタレーション、キュレーションと多岐に渡るメディアを利用して現代アートへのコミットメントを本格化する。玩具や絵本という根底から出発した鴻池の表現は、脚だけの少女、ナイフや狼といった象徴性の高い記号を精緻に表層化し、観者による物語性の補完という相互作用を強くアフォードしている。また、会田誠や山口晃と共に澁澤龍彦の小説やサドの翻訳を再編集した平凡社のホラードラコニア・シリーズに参加し、『狐媚記』(2004)のための挿絵を描き下ろした。個人制作以外の活動としてはAXISギャラリーでの2003年8月~9月のワークショップを重点においた『六感の森』展と2005年3月にカフェスペース的空間で観客がテーブルに座り作品を注文する『Aランチ』展のキュレーションがある(現在は2006年3月の『Aランチ2』(仮)展を企画している)。
・コンテンツ・ページ
(準備中)
・ミヅマアートギャラリー
『狐媚記』
ホラー・ドラコニア
少年少女小説集成
澁澤 龍彦 (著)
鴻池 朋子 (イラスト)
村上さん
アーティスト村上隆。1962年生まれ。有限会社カイカイキキ主宰。芸大日本画科を卒業後、同大学院美術研究科において論文『意味の無意味の意味』で博士号を取得(1993)。当初はシミュレーショニズムやネオ・ポップなどの文脈の中で位置づけられて来が、90年代後半より美術史家の辻惟雄による『奇想の系譜』を基点に、日本画の古典から現代のアニメ絵、そしてパソコンのGUIまでに通底する「正面性と資格(視覚??)の走査が一枚の画の中に収まっている」美的感覚を「スーパーフラット」と名付け、思想哲学や建築などにも影響を及ぼした。スーパーフラットはまた、村上によるキュレーション活動の源泉となるコンセプトでもあり、戦後日本的リアリズムの再定義を海外の批評言説に提示する企画展がロサンゼルス(スーパーフラット[2000], MoCA)、パリ(ぬりえ展[2001]、カルティエ財団)、ニューヨーク(リトルボーイ[2005]、ジャパンソサエティ)という企画展に結実化されている。他方、日本においてはゲイサイという同人誌文化におけるコミックマーケットを参照する構造のアートフェアを2001年より定期的に開催しており、日本におけるアート市場の創出に大きく貢献し続けている。
www.kaikaikiki.co.jp
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80年代ニューヨークにおいて、フランスの哲学者ボードリヤールが提唱した「シミュラークル」(オリジナルなきコピー)という概念に沿って文脈化された一連の作家たちの活動の総称「シミュレーショニズム」を指している.日本の美術評論家の椹木野衣は80年代末に「カットアップ/サンプリング/リミックス」というキーワードによってシミュレーショニズムを説明した.これはCCライセンスが提唱する「マッシュアップ」というコンセプトとも通低しているが、アートのシミュレーショニズムにおいては「盗用芸術」(アプロプリエーション・アート)という形容が示す様に表現の対象の卑近化と唯物化を特徴としているのに対してデジタル著作権ライセンスの目的は合法的な「盗用」(引用)の最大化を企図している.
メディアアーティスト岩井俊雄。1962年生まれ。85年に、驚き盤やゾートロープといった19世紀の映像メディアを拡張する作品「時間層」を制作する。以降、子供番組「ウゴウゴルーガ」(1992~1994)のCG制作やZKMでの研究制作『Piano – as image media』(1995)を使用した坂本龍一とのコラボレーション『MPIxIPM』(1997)などのほかにも多数のインタラクティブ作品の制作し続け、日本のメディアアートを牽引する作家として活動してきた。また、映像と音楽の共奏に強い関心を持ち、ファミコン用ゲーム『OTOCKY』(1987)、ワンダースワン用ゲーム『テノリオン』(2001)やデバイス作品『サウンドレンズ』(2001)に続き、任天堂DS用ゲーム『エレクトロ・プランクトン』(2005)やヤマハ楽器の『TENORI-ON』(2006予定)などでは視覚と聴覚の相互作用性が強く意識された経験がデザインされている。鴻池朋子がキュレーションを行った『六感の森』展(AXISギャラリー、2003)にも出品している。
森美術館で2005年3月から6月にかけて開催された、エイヤ=リーサ・アハティラ、キャラ・ウオーカー、トレイシー・モファットやウィリアム・ケントリッジらと並んで鴻池も出品した『ストーリーテラーズ:アートが紡ぐ物語』展。5月に鴻池はワークショップ「物語の石を探そう」を企画・主催した。
鴻池によって企画され、六本木AXIS Galleryで2005年3月1日から7日の間に開催された Art ランチ展.”鑑賞者が主体的に作品を選択し、自分の手元で心ゆくまで作品鑑賞を楽しむことができる「茶の湯の宇宙」的コンセプト”(プレスリリースより)に沿って36名の作家が出品し、従来の作品と観客の関係のオルタナティブを提示した.現在は2006年3月の第二回にむけて準備が進行している。
アーティスト、1969年カリフォルニア生まれ.人種やジェンダーの問題を、人間のシルエットというモチーフに反映した作風で知られる.観客に光を当て、その影を自身の影絵の作品に重畳させる作品も制作しているが、南アフリカのアニメーション作家ウィリアム・ケントリッジもまた寓話的な影絵の映像を用いて政治性を強く喚起する表現を行っている事は興味深い.
1951年生まれ、アーティスト.70年代後半から80年代前半をスイス、1984年よりケルンを拠点に平面と立体作品を制作している.また1991年よりベルリン美術大学で教えている.
ケージ(作曲家、ロサンゼルス生まれ、1912年生〜1992年没)は、作家性の根底にある選択的な決定に対して偶然性を提示し、主観性の徹底した排除を目的とした.それは例えば1951年のアルバム《Music of Changes》の作曲が音高や音色をコイン投げや中国の易経を用いて作られた事にも示されている.ケージは、作家ではなく、「知覚する人間の意識」が作品形成に重要な役割を果たすというテーゼを主張し続けた.
ローリー・アンダーソン
[Laurie Anderson]
アーティスト、 1947年シカゴ生まれ.70年代初頭より、コンセプチュアル・アートをベースに作品を発表していく.81年に楽曲《オー・スーパーマン》がイギリスでヒットしてから、ポピュラー音楽においても認知されるようになる.90年代にはピーター・ゲイブリエル,ブライアン・イーノ,ヴィム・ヴェンダースをはじめ大勢のミュージシャン,映画作家,振付家とのコラボレーションも行なってきた.2004年,2年間のNASA(米航空宇宙局)のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムの結果として制作された《月の終焉》を上演.
2005年,愛知で開催された「愛・地球博」に参加し,2005年7月22日から10月2日に渡って、東京NTT ICCにて個展《時間の記録》展を開催した。
ウェブサイトやソフトウェアなどを基底に活動するネット・アーティストなどはGPLライセンスを利用する例が多く挙げられるが、いわゆる平面(絵画、ドローイング)、立体やインスタレーションなどを美術館やギャラリーで発表するアーティストにとって、デジタル著作権ライセンスを利用してネットを介するプロモーションや作品展開は異例である。
*ワークショップ会場写真は森美術館、およびにJ-WAVE BOOMTOWN のご厚意で掲載させて頂いています.
*Aランチ会場写真はニニュワークスのご厚意で掲載させて頂いています.