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コモンスフィア宣言
知的活動の新しい生態系にむけて
はじめに
情報技術は知的活動を育むでしょうか。
情報技術は、高度な知的活動の産物です。しかし、それそのものが知的活動を育むとは限りません。
たとえば、有名なWinnyを考えてみましょう。Winnyは、私たちに、流通コストを極限まで軽減させる、すぐれたコンテンツ・ネットワークを与えてくれました。しかし、それはまた、著作権者への利益の還元を阻み、違法コピーを大量に流通させる犯罪的なネットワークでもあります。このような状況は、音楽や映画、出版など、広義の「知的生産」を営むすべての人々にとって大きな障害となるでしょう。
したがって、知的生産にたずさわる既存の産業では、情報技術の不正な利用を制御する、新しい技術やビジネスモデルの開発が進められています。それは一般に、DRM(デジタル著作権管理)と呼ばれています。
しかし、その動きはまた別の問題を引き起こします。それは今度は、私たちがいままであたりまえのように享受してきた、「知的消費」の範囲を大きく狭めてしまうからです。
私たちはいままで、さまざまなかたちで知的生産物を享受してきました。そこでは、模倣やパロディやサンプリングなど、生産者(著作権者)によって推奨されているわけではないが、しかし咎められるわけでもない、曖昧で多様な消費の形態がありました。ところが、DRMのなかには、あらゆる消費の局面がオンラインで認証され、管理され、生産者(著作権者)が認めたかたちでのみ提供されることを理想としているものがあります。そのような技術の導入は、模倣やパロディすら不可能にしてしまうかもしれません。
このように、情報技術の進化と普及は、それ自体では、必ずしも知的生産と知的消費を育むものとは言えません。
それでは、私たちは情報技術を拒否するべきでしょうか。
その答えは、言うまでもなく否です。混乱の原因は、技術にあるのではありません。技術と社会の齟齬にあります。言い換えれば、コンピュータやインターネットに代表される技術的な下部構造と、ひとびとが知的な活動を行い、それによって対価を獲得し、生活を営み、また刺激を受けていく社会的な上部構造とのあいだに、適切な中間層が作られていないことにあるのです。
したがって、いま私たちが行うべきは、新しい技術を拒否することでも、古い慣習を軽蔑することでもありません。そうではなく、私たちは、新しい「技術的条件」と古い「社会的慣習」がともにそのなかに住まうことのできるような、包容力のある環境を探し出さなければならないのです。以下、その環境を、生物学の魅力的な概念を隠喩として用いて、「生態系」と呼ぶことにしましょう。
情報技術が知的活動を育む豊かな世界に生きるためには、私たちはまず、知的活動の新しい生態系を作らねばなりません。
commonsphereとは
このような認識のもとに、私たちは「commonsphere」を結成しました。
この名称は、財の共有地を意味する「commons」と、球体あるいは圏を意味する「sphere」を繋げた造語です。
「commons」は、私たちのプロジェクトが、知的活動の「共有」を志向していることを意味するとともに、アメリカの法学者、ローレンス・レッシグが始めた運動「クリエイティブ・コモンズ」の思想を継承していることを示しています。
「sphere」は、共有地のうえで、さまざまな知的活動が、つぎつぎと生まれては進化し、繋がり、自己増殖していく、豊かな生態系のイメージを表しています。
commonsphereは、国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの支援を受けて活動する、開かれた組織です。commonsphereは、研究機関であり、文化集団であり、政治的運動体であり、同時にビジネス・プラットフォームでもあります。
私たちは、知的財産権のありかたについても、運動のありかたについても、多様な立場を受け入れます。WinnyもDRMも、アマチュアもプロフェッショナルも、フリーコンテンツも商用コンテンツも共存できる環境を提案すること、それが私たちの願いです。
生態系は、多様でなければなりません。
支援のお願い
commonsphereは、国際大学グローバル・コミュニケーション・センターの支援を受けて活動を開始します。しかし、より実践的に、より実験的で、またより影響力の活動を展開していくために、私たちは、人的かつ経済的に多様な支援を必要としています。
コモンスフィア・メンバー
東浩紀 / 濱野智史 / チェン・ドミニク / 生貝直人